京都地方裁判所 昭和25年(行)1号 判決 1953年5月02日
控訴人 京都府立医科大学長 勝義孝
右訴訟代理人弁護士 前堀政幸
同 橋本清一郎
被控訴人 福田彌一
外五名
右訴訟代理人弁護士 坪野米男
同 能勢克男
同 小林為太郎
同 木村得一
主文
被控訴人上田好治に対する控訴人の本件控訴を棄却する。
原判決中被控訴人福田彌一、同内藤三樹郎、同平井正也、同木村昭、同谷沢三郎に関する部分を取り消す。
右被控訴人五名の請求を棄却する。
訴訟費用中被控訴人上田好治に関するものは第一、二審とも控訴人の負担とし、その他のものは第一、二審とも被控訴人福田彌一、同内藤三樹郎、同平井正也、同木村昭、同谷沢三郎の負担とする。
事実
控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人六名の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人六名の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張は、控訴人の方で別紙控訴人の準備書面記載のとおり述べ、被控訴人の方で控訴人主張中被控訴人の主張に反する部分を否認すると述べた外、原判決事実記載の通りであるからこれを引用する≪証拠省略≫
理由
第一本訴が適法であるかどうかの判断
京都府立医科大学が旧大学令により設立せられ、学校教育法第九八条同法施行規則第九一条の規定に基いて従前の規定による学校として存続する公立大学であることは当事者間に争がない。
控訴人は、本件放学処分は学校教育法第一一条の規定により校長が教育上必要があるものと認めて加えた懲戒であるから、事実行為であつて行政処分でない。教育は教師と学生、生徒、児童との間の人格のつながりであり、懲戒は教育の手段に外ならない。右第一一条但書に体罰の禁止を規定していることからみても、体罰と同様に他の懲戒も事実行為であることが明らかであり放学もまた事実行為に過ぎない。校長は学校設置者の機関として管理権を有するけれども、校長が懲戒を行うのは教員と同様教師としての立場においてするものであつて、学校設置者の機関として行うものではない。国立、公立学校において行われる懲戒は、私立学校において行われる懲戒と性質上何等異なるところはないのである。右第一一条は教師が自由に教育上必要かどうかを認定し、必要があると認めるときは懲戒を加えることができるとする。ただ退学については監督庁の定める同法施行規則第一三条但書各号の一に該当することを要するけれども、これは訓示規定に過ぎないから、これに違反しても違法の問題は生じない。これを要するに教育上の懲戒は教育作用に属する事実行為であつて行政処分でない。
国立又は公立学校の学生生徒は学校という営造物の利用者であるが、営造物設置の反射的利益を受けるに過ぎず、普通利用することを自己の利益として主張できる法律上の地位を与えられたものでない。従つて学生生徒が放学によつて営造物利用関係から排除せられても、反射的利益を受けることができなくなつただけであつて、その利用権を侵害せられるものでない。又国立又は公立学校の学生生徒は営造物である学校の設置者としての国又は地方公共団体と特別権力関係にあるものであるが、その自由意思に基いてこの関係に入つたものであるから、放学処分によつて特別権力関係から排除せられても、これに対して裁判所に訴を提起することは許されない。以上の理由により放学処分を対象とする本訴は不適法であると主張するから考えてみよう。
公立大学の学長は大学の校務を掌り所属職員を統督するもので、大学の機関としての管理権を有し、この管理権の範囲で大学の意思を決定しこれを外部に表示する権限を有するから、いわゆる行政庁にあたるものである。そして従前の規定による学校は従前の規定による学校として存続することができるものであるが、その懲戒権の行使については、学校教育法による学校との間に区別を設ける理由がないから、学校教育法、同施行規則の規定によらなければならないものと解する。
ところで学校教育法第一一条は「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。但し、体罰を加えることはできない。」と規定し、更に同法施行規則第一三条は「懲戒は、学校がこれを行う。但し退学は市町村立の小学校及び中学校以外の学校において、左の各号の一に該当する者(都道府県立の盲学校及びろう学校の義務教育を受けるものを除く。)に対してのみこれを行うことができる。(一)性行不良で改善の見込がないと認められる者、(二)学力劣等で成業の見込がないと認められる者、(三)正当の理由がなくて出席常でない者、(四)学校の秩序を乱しその他学生又は生徒としての本分に反した者」と規定しておる。
これらの規定によつて考えてみるに、懲戒は教育上その必要があると認められた場合教育上の手段として学校がこれを行うものであるが、その行使は校長及び教員が学校を代表してこれにあたるものである。学校教育法第一一条は懲戒権の行使の方法について監督庁の定めるところに委ね、同法施行規則第一三条はこの法律の委任によつて定められたものである。従つて懲戒権の行使は学校教育法第一一条同法施行規則第一三条の規定に従つてなされなければならない。右規則第一三条は右法第一一条の内容をなすものであつて、訓示的規定に過ぎないものと解することはできない。法第一一条但書が事実行為である体罰の禁止を規定しておるからといつて、同条本文に定める懲戒が総て事実行為に属すると論断できないばかりでなく、同条但書は事実上体罰を加えることを禁止するとともに、懲戒処分の一種として体罰を定めることが許されないことをも定めたものと解せられる。教育上の懲戒は、総て事実行為であると解するのは正当でない。公立大学の学生に対する退学処分は、学長が行政庁としてなす公法上の行為であつて、いわゆる行政処分にあたり、事実行為でないことは明らかである。
又公立大学の学生はその自由意思によつて営造物である学校の設置者としての地方公共団体と特別権力関係に入つたものであるが、公立大学の学長が学生に対する懲戒として退学に処するには学校教育法第一一条同法施行規則第一三条の規定に従わなければならないことは前に説明するとおりであるから、学生を退学に処し、特別権力関係から排除するについて法規上何等の制限がないと解するのは不当であり、又退学処分は学生たる身分を失わしめる。その学校において教育を受けることができなくなるという効果を伴うものであつて、或る特定の学校で教育を受け得るということは、その学生個人の享受する積極的な内容を有する利益というべきであるから、それはいわゆる反射的利益たるに止まらず、その学生の有する権利なりというに妨げない。従つて右規定に違背して営造物利用関係から排除しても権利の侵害を生ずることはあり得ないと解するのは正当でない。
そうすると公立大学の学長が懲戒権の行使として学生を放学処分に付したのは、学長の行政庁としての管理権に基く行政処分であつて、私立大学の学長が学生に対してなした放学処分とその性質を異にする。もつとも特別権力関係内における行政処分に対しては特別の規定のない限り、争訟を提起することができるかどうかは困難な問題であるけれども、少くとも放学処分のように被処分者を特別権力関係から終局的に排除するものは、単に特別権力関係の内部的処分ということができないから、放学に処せられた学生がその処分が違法であるとして学長を相手方としてその取消を訴求することは、行政事件訴訟特例法の定めるところによつて許容せられるのである。
本訴を不適法であるとする控訴人の主張は、これを採用しない。
第二事実の認定
(一)本科と女専部との関係及び女専部教授会の性質
成立に争のない乙第十六号証及び原審における控訴人本人の尋問の結果によると次の事実を認めることができる。
京都府立医科大学附属女子専門部(以下女専部と略称する。)は旧専門学校令により京都府立医科大学に附属して設立せられ、学校教育法、同法施行規則により引き続いて存続する医学専門学校であつて、大学本科とは別個の学校であるが、建物その他の施設で共通に利用しておるものがあり、本科学長は当然女専部部長を兼任し、又本科教授で女専部教授を兼ね、女専部教授で本科助教授講師を兼ねる者があるなど、本科と女専部との間には密接不可分の関係がある。
昭和十九年八月十六日開催せられた女専部教官会議における申し合わせにより女専部教授を以て組織する会議体が置かれ、女子専門部教授会と呼ばれることになつた。この教授会議は生徒の訓育及び教授に関して部長の提案事項を審議する諮問機関であり、又資料を提出審議して部長を補佐するが議案の決定権は部長にあつて教授会にない。その後昭和二十四年十一月当時に至るまで女専部の教育実施学校の運営に関する事項は部長から右教授会に提案せられその審議を経て決定執行せられていた。
(二)女専部足立教授の進退問題
控訴人が同大学本科学長兼女専部部長であり、女専部教授足立興一が同部長から辞職を勧告せられたことは当事者間に争なく、原審証人足立興一、保田淳、当審証人杉村初美、平岡昭子の各証言、原審における被控訴人平井正也本人の尋問の結果、当審における控訴人本人の尋問の結果によると次の事実を認定することができる。
足立教授は女専部で解剖学の講座を担任していたが、昭和二十三年右講座が廃止せられるとともに生徒係、図書係の閑職にあつたところ、漸次この職も奪われ、昭和二十四年十一月八日勝部長から辞職の勧告を受け、翌九日正午過頃拒絶の意思表示をした。そこで勝部長は九日の後記女専部教授会の流会後足立教授に休職辞令を交付しようとしたが、その受領を拒まれたので翌十日これを郵送した。これより先足立教授と思想的に同調する一部の学生生徒は同教授に対する辞職勧告の事実を知つてこれを不当として憤慨したが、本科二回生と女専部四回生は九日朝クラス会を開いて足立教授解職反対と女専部に基礎医学の講座の設置を要望する旨の決議をし、被控訴人平井正也等本科二回生十数名は九日正午過勝部長に右決議文を提出するため面会したがその満足するような回答を得られなかつたばかりりでなく、各自氏名を書くことを求められ、不平不満の念に包まれて引き上げ、同日午後三時から開催せられると聞知した女専部教授会に右決議の趣旨を申し入れることになつた。
(三)十一月九日の女専部教授会の模様
被控訴人六名が同大学本科学生であつたこと、女専部教授会が昭和二十四年十一月九日同大学会議室で開催せられ、八対二の多数決で非公開の決議をしたこと、水野教務課長が被控訴人上田を除く被控訴人五名に対し退場を要求したこと及び右教授会が流会になつたことは当事者間に争がない。
成立に争のない乙第一号証、第十七号証の一乃至五、第二十三号証の一、二、第二十八、第二十九号証、原審証人水野重一の証言により真正に成立したものと認められる乙第二号証の一部、原審証人木口直二、当審証人志多半三郎、梅田良三、山本富郎、小田完五、中川安太郎、保田淳、田阪正利、金在河、河辺八郎の各証言、原審証人鈴木成美、保田淳、門脇一郎、原審及び当審証人水野重一、当審証人服部博史、松山英俊、中村玉枝、山中栄子、杉村初美、平岡昭子の各証言の一部、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果、原審及び当審における被控訴人内藤三樹郎を除く被控訴人五名本人の尋問の結果の一部、当審における被控訴人内藤三樹郎本人の尋問の結果の一部並びに当審における検証の結果を総合して考察すると次の事実を認定することができる。
(1)議案
十一月八日勝部長から女専部教授に対し九日午後三時から会議室で明年度インターンに関する件その他を議題として女専部教授会を開催する旨の通知がなされた。インターンに関する件というのはインターン生の病院配属に関する問題であるが、その他というのは別に具体的に定まつたものはなく、随時教授から何か提案があればこれについて相談しようという程度のものであつた。勝部長は右通知をした当時は足立教授の進退問題を議案とするることを考えなかつたが、九日正午頃になつてこれを教授会に報告しておこうと考えるようになつた。
(2)開会までの模様
教授会で足立教授の進退問題が審議されるという噂があつたため、本科三回生の被控訴人福田、同内藤、二回生の被控訴人平井、同木村、本科二回生の保田淳、門脇一郎、田阪正利等及び女専部生徒十数名、女子インターン生五、六名合計約三十名はこれを傍聴して審議の内容を知り、併せて前記クラス会の決議文を提出しこれに対する回答を得ようとして会議室に入り開会を待つていた。開会にさきだつて志多教授は被控訴人木村等学生に女専部教授会は非公開だから傍聴できない旨を伝えたが同被控訴人はこれを承服しなかつた。右入場については予め何人からも許諾を得ていなかつた。
(3)開会から流会までの模様
教授会は当日の議長である鈴木教授の都合で定刻午後三時に遅れ、午後三時半頃志多教授外八名の教授の外、勝部長も出席の上鈴木議長から開会が宣せられた。この時会議室の教授の着席している机の南側に奥の方から順次田阪学生、被控訴人木村、同平井、同内藤、門脇学生、被控訴人福田、保田学生等が、又会議室入口に近い方の衝立附近に女専部生徒、女子インターン生等が位置を占めていた。開会直後志多教授から女専部教授会は従前から非公開であるが本日の会議は公開にするのかどうかという動機が出され、足立教授から自分の一身上のことが出なければよいが、もし出るのであれば公開して貰いたい旨の発言があり、竹沢教授は公開に賛成し、志多教授、梅田教授は従来どおり非公開にすべきことを主張し、勝部長は公開が原則の本科の教授会においても人事については非公開が例であると述べ、双方の議論が激しく展開せられた。この間に被控訴人平井は本科二回生の決議文を鈴木議長に提出しその趣旨を説明することを求めたが許可を得られなかつたので門脇学生とともに数回議長に対して発言を求めた。右の論議が交わされている間に本件二回生の被控訴人谷沢が入つて来て被控訴人福田の傍に席を占めた。このような論議の内に約四十分経過したので、鈴木議長は木口教授の提案で無記名投票により公開非公開の賛否を決することをはかり、採決の結果八対二で非公開と決定せられた。そこで議長は非公開で審議する旨を宣し傍聴の学生生徒等に退場を求めたが大部分の者はこれに応ぜず、議長の意を受けて水野教務課長が再三退去を要求したが、被控訴人平井、同内藤、同木村、門脇学生等は交々非公開は不当である。非公開の理由を聞かせて貰いたい。クラス会の決議文に対する回答を聞かせて貰いたい等と相当大声で発言した。勝部長が発言した被控訴人木村、同平井、同内藤、門脇学生の四名を呼び上げると、被控訴人内藤は勝部長に対しそのようなことをして脅迫するのかと述べた。水野教務課長は勝部長の命によつて右四名の外被控訴人福田、同谷沢、田阪学生の名を呼び上げた上手帳に書き留めた。(水野教務課長は同時に被控訴人上田の名を呼び上げ書き留めたけれども、その時同被控訴人はそこに居合さなかつたことは後に認定するとおりである。)しかし学生等は依然退場せず大声で発言を続けたため暄騒を極め、非公開の採決後約三十分を経過しているのに教授会の審議をすることはとうていできないような状況であつた。そこで志多教授はこのような状況では教授会の審議を続けることはできないと発言し、鈴木議長は教授会の流会を宣し教授会は散会し各教授は退出した。時に午後四時五十分頃であり引き続き入場していた学生等は退去した。
(4)被控訴人上田の動静
被控訴人上田は当日午後同大学附属病院皮膚科河辺医師から頸部腫物の手当を受けた後始めて教授会のあることを知り傍聴しようとして会議室に来たところ、既に教授会の散会した直後であつて被控訴人内藤、同木村等から流会になつたことを聞き、水野教務課長に流会の理由を聞きただした。その後後に認定するように同月十五日本科教授会において被控訴人上田等に対する放学処分の議決がなされ、その翌十六日本科二回生のクラス会が開かれた席上、被控訴人上田と保田学生は水野教務課長に対し同被控訴人は教授会を傍聴しなかつたから処分される理由がないと抗議した。
前示乙第二十三号証の一、二の水野教務課長の手帳には他の被控訴人等の名ととに「上田」の記載があり、当審証人志多半三郎、山本富郎、小田完五の証言によると、水野課長は当時他の被控訴人等の名とともに上田の名を呼び上げたことが認められるけれども、右志多証人の証言、当審における控訴人本人の尋問の結果によると、右当時被控訴人上田の顔を見知つていた勝部長、志多教授は流会までに会議室内で同被控訴人の顔を見受けなかつたことが認められ、原審証人鈴木成美は「十一月九日の女専教授会において発言した学生の顔は知つております。平井、木村、上田の三人はなかなか活に発言しておりました」と証言するけれども、被控訴人上田が被控訴人平井、木村と同じように活に発言したことは他にこれに対応する証拠がなく、前掲各証拠と比べると何かの誤解によるものと認める外はない。一方原審及び当審証人保田淳の証言によると水野課長は被控訴人内藤の傍にいた保田学生と視線が合つたから同人がその時来ていたことは充分解つていたはずであることが認められるのに、原審及び当審証人水野重一の証言によると、水野課長は保田学生の顔をよく知つているがその時同人の来ていることに気づかなかつたというのであるから、同証言中被控訴人上田がその時来ていた旨の部分は前掲各証拠と対照して考察するときは容易にこれを信用することができず、その考え違いによるものと認める外はない。前掲各証拠によると、その他には被控訴人上田が流会前に会場に来ていたのを見受けた者が一人もいなかつたことが認められ、乙第二号証の教授会の記録中被控訴人上田に関する記載は水野課長の前記考え違いに基くものであるから、これを採用しない。当審証人榎本安三郎の証言によつても右認定を左右することはできない。なお成立に争いのない乙第二十七号証によると被控訴人六名等から京都地方裁判所に提出した昭和二十四年十一月二十二日附仮処分命令申請書には被控訴人上田を含む申請人等が当初から教授会傍聴のため入場していた旨の記載があることが認められ、本件訴状にも同趣旨の記載があり、昭和二十五年二月二十二日の原審口頭弁論期日において被控訴代理人は右訴状を陳述した外同趣旨の釈明をしたことが記録上明らかであるけれども、同年三月二十二日の原審口頭弁論期日において被控訴代理人は右は錯誤であつて被控訴人上田は教授会流会後入室したと訂正すると述べ、控訴代理人は右訂正に異議はないと述べたことが記録上明らかであり、当審証人金在河、田阪正利の証言、当審における被控訴人上田好治、同谷沢三郎本人尋問の結果によると、被控訴人等は右仮処分申請や本件訴訟の提起を弁護士に委任するに当り被控訴人全部に共通して放学処分を違法とする事実関係のみを述べ、被控訴人上田に特有の事実関係の説明を加えなかつたことが認められるから、(4)の認定をくつがえす資料とはならない。
原審証人鈴木成美、保田淳、門脇一郎、当審証人服部博史、松山英俊、中村玉枝、山中栄子、杉村初美、平岡昭子の各証言並びに原審及び当審における被控訴人内藤三樹郎を除く被控訴人五名本人尋問の結果、当審における被控訴人内藤三樹郎本人の尋問の結果中(三)の認定に反する部分は当裁判所の採用した前掲各証拠と対照してこれを信用することはできない。
(四)学生生徒に対する懲戒権の発動
成立に争のない乙第三号証、原審証人水野重一の証言により真正に成立したものと認められる乙第四号証、第十四号証、同証言、原審証人木口直二、当審証人中村玉枝、山中栄子、杉村初美、小田完五の各証言、原審における控訴人本人の尋問の結果によると、次の事実を認定することができる。
本科学長兼女専部部長勝義孝は女専部教授会の審議を妨害した学生、生徒、女子インターン生を懲戒する方針を定め、女専部生徒十三名に対して、女専部教授会において満場一致の賛成を得た上同年十一月十四日無期停学に処し、女子インターン生四名に対して、同年十二月三日斎藤附属病院長から一ヶ月間の登院停止処分に付させた。又本科学生に関しては同年十一月十四日女専部教授会から控訴人あてに右女専部教授会が本科学生、女専部生徒等の公開要求退場命令不応によつて審議不能に陥り流会のやむなきに至つたのはまことに学園の不祥事である。特に本科学生によつて公開強要審議妨害のなされたことは甚だ遺憾である。かくの如き行為を排除しなければ秩序の維持教育の運営は不可能となる。よつて学長の善処を要望する旨の上申書が提出せられた。そこで控訴人は本科学生の被控訴人六名及び門脇一郎、田阪正利に対する懲戒権の発動について審議するため、翌十五日午後三時本科教授会を招集することとした。
十五日午前中水野教務課長は被控訴人福田からその弁解を聴いた。同被控訴人は二回生の決議によつて足立教授に関する決議を申し入れるため自分達は女専部教授会に行つた。本科の教授会が公開だから女専部教授会も当然公開だと思つていた。投票によつて非公開の決定がなされたが自分達にはその理由が納得できなかつたから内藤、平井、木村、門脇は議長から非公開の理由の説明を求めるため発言したまでである。退去を求められたのに抗弁したのではない。自分は意識的に発言をさし控えた。自分一人の考えではあるが、女専部の教授会だから少し軽く見ていたのであつて、本科の教授会ならばあのような事もしなかつたと思う。ともかく自分達は理由の解るまで待つているつもりでいたのであるという意見を述べた。
(五)十一月十五日の本科教授会の模様
十一月十五日の本科教授会において被控訴人六名及び門脇一郎、田阪正利を本科学則第三四条により放学に処すること、但し数日の猶予期間内に退学願を提出したときは放学に処せず復学の余地を残すよう取り計らうことを決議したことは当事者間に争なく、原審証人水野重一の証言により真正に成立したものと認められる乙第五号証の一、二、第六号証、同証言、原審証人弓削経一(第一、二回)漆葉見龍、当審証人後藤五郎の各証言、原審及び当審における控訴人本人の尋問の結果によると次の事実を認めることができる。
十一月十五日の本科教授会は弓削教授が議長となつて午後三時十分頃開会せられ、学長提出の他の議案を決定した後勝学長は前記女専部教授会の上申書を朗読し教授会の審議を妨害した本科学生の処分について審議を求めると述べ、その提案理由として被控訴人等は十一月九日の女専部教授会にいて非公開の採決がなされたのにかかわらず公開を要求し再三の退場勧告に応ぜず審議を妨害しついに流会を余議なくさせたが、このような行為は学生の本分にもとり学内の秩序を乱すものであるから、これを排除しなければ学園の秩序を維持し大学の健全な運営を期し難い旨説明し、非公開による審議を求め、出席教授全員の一致した意見で非公開で審議することとなつた。秘密会に入るや勝学長の命により水野教務課長は女専部教授会の開会から流会に至るまでの経過について相当詳細にわたる報告をし、審議の妨害をした本科学生として被控訴人六名、田阪正利、門脇一郎の氏名を読み上げ、同日午前中になされた被控訴人福田との前記対談の要旨を説明し、その他の学生からは意見を徴していない旨を述べた。次いで漆葉幹事長、望月教授、川井教授の質問に対し水野教務課長は、女専部教授会は公開にすると定めたことはないから従前どおり非公開が続いていると思う。今まで傍聴者があつたことは聞いていない。学生が授業を放棄したかどうかは確かでない旨答えた。学長は学生の右のような行為はその本分にもとり学内の秩序を乱したものと考えると述べた。弓削議長は処分すべきかどうかをはかつたところ全員処分することに賛成した。学長は学則第三四条によれば懲戒には戒飭、停学、放学の三種があるが、この場合八名全部を放学に処することとしてはどうか。しかし父兄の立場と教育的見地を考慮し、数日の反省期間を与え、学生が自主的に自ら非を認め退学を願い出たときは退学を認め放学を行わず、学則第一二条によつて復学の余地を残すよう取り計らつてはどうかと意見を述べ、山田博、望月、藤井、後藤各教授はこれに賛成の意見を表した。弓削議長は投票によつて賛否を問うべきことを主張し、学長は責任を明らかにする意味で記名投票がよいと思うと述べ、山田博、田中両教授はこれに賛成し、議長は記名投票は自由意思を束搏するから反対であると述べたが、多数決により記名投票を決定し、投票の結果賛成二十二反対二の多数決で、被控訴人六名及び田阪正利、門脇一郎を放学処分に付すべきものと決議した、秘密会に入つてから右決議に至るまで約三十分かかつた。
(六)教授会の公開非公開について
本科教授会が原則として学内に公開せられていたことは当事者間に争なく、成立に争のない乙第七号証の一、二、第十五号証、第二十四号証の一、二、第二十五号証の一乃至四、原審証人漆葉見龍、鈴木成美、木口直二、水野重一、当審証人志多半三郎の各証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果、当審における被控訴人平井正也、同内藤三樹郎各本人尋問の結果、原審における被控訴人平井正也、原審及び当審における被控訴人福田彌一、同木村昭、当審における被控訴人谷沢三郎各本人尋問の結果の一部を総合すると、次の事実を認めることができる。
昭和二十年十一月二十八日本科全学生の名において教授会秘密性一擲及び過去の教授会の速記録の即時公開を要求する旨の決議がなされ、これに対し翌三十日当時の越智学長は教授会は爾後公開することを回答し、爾来本科教授会は学内公開の下に開催されて来た。しかし人事問題については非公開で審議されるのが常であつた。学生はその関心をひく事項の審議される教授会には傍聴に行き、多数の学生が傍聴している場合には教授会の審議に大きな影響を与えるものと考えていた。
女専部の教授会は従前から非公開の慣行があり、実際において学生生徒等の傍聴した例はなかつた。教授会公開の回答は本科学生の決議に対する学長の回答であるから、これによつて女専部教授会が学内公開になつたものと見ることができず、同月三十日女専部生徒一同の名においてなされた決議にも、女専部教授会の公開を要求する事項を包含していない。しかし被控訴人等学生は女専部教授会も、本科教授会と同様学内公開であると誤解していた。
原審における被控訴人平井正也、原審及び当審における被控訴人福田彌一、同木村昭、当審における被控訴人谷沢三郎各本人尋問の結果中、全学民主主義大会において決議せられた結果、女専部教授会も本科教授会と同様公開せられたものである。本科教授会は人事問題に関しても公開で審議せられた旨の部分は、当裁判所の採用する前掲各証拠と比べ合わせると信用できない。
(七)被控訴人六名に対する放学処分
控訴人が被控訴人六名及び田阪正利、門脇一郎に対し昭和二十四年十一月十九日までに退学願を提出したときは放学に処せず、学則第一二条により復学を許すことがある旨を通告し、田阪、門脇は退学願を提出したが、被控訴人六名は退学願を提出しなかつたので、控訴人は同月二十日被控訴人六名を前記理由の下に学則第三四条により放学処分に付したことは当事者間に争がない。
第三放学処分に被控訴人主張の違法があるかどうかの判断
第二で認定した事実を基礎として本件放学処分に被控訴人主張のような違法があるかどうかを順次判断しよう。
(一)懲戒事由の有無
被控訴人上田は十一月九日の女専部教授会の流会後会議室に来たものであり、全く流会の原因に関係がないから、控訴人が同被控訴人に懲戒の事由である学生の本分にもとる行為があるものと認めて懲戒権を発動したのは事実の誤認に基くものである。
被控訴人福田、同内藤、同平井、同木村は教授会開会前から入場しており、被控訴人谷沢は教授の間で公開非公開の議論がなされている間に入場し、右被控訴人五名の面前において投票採決の結果非公開と決定したものである。元来女専部教授会は本科教授会と異り従前から公開されておらず、被控訴人等はもとより他の学生生徒等もかつてこれを傍聴した実例は存しない。それにもかかわらず被控訴人等が女専部教授会も公開せられているものと信じたのは、全くその誤解によるものである。しかし、被控訴人等が、予め学校当局の承認を得ないで会議室に入場したことは、女専部教授会も公開されているものと信じたためであるから、深く責めるに足りないものとして暫く問題外としよう。教授会の学内公開ということは、停聴の学生等に対し発言を認容することを意味しない。ましてその発言によつて教授会の審議方法や審議内容に影響力を与えるようなことは許されるものでない。そればかりでなくその面前において論議の上教授会の多数決により非公開と決定せられ、議長から非公開で審議することが宣せられた以上、これに従つて自発的に退場するのが当然であつて、傍聴者からその非公開の決定を不当とし、或いは非公開の理由の説明を求めて論議をさしはさむことを許されないのはいうをまたないところである。
ところが右被控訴人五名は眼前において公開非公開がなされた上非公開の採決があり、議長及び議長の意を受けた水野教務課長から再三退場を要求せられたにもかかわらず退場を肯ぜず、被控訴人平井、同内藤、同木村等は非公開は不当である。非公開の理由を聞かせて貰いたい等と相当大声で発言を続けたため暄騒甚しく、非公開の採決後混乱の内に約三十分経過し、教授会を審議不能に陥れ、審議を妨害し、ついに流会のやむなきに至らしめたものである。
そうすると被控訴人等に懲戒に値する行為がないという被控訴人の主張は被控訴人上田については正当であるが、その他の被控訴人五名に関しては失当である。
(二)懲戒手続の違法の有無
被控訴人は被控訴人等の懲戒処分を審議した本科教授会は教授会公開の原則に反し非公開で審議せられ、被控訴人等の行為を充分調査することなく、又事前に被控訴人等の弁明を聴かないで一方的に放学処分を決議したのは違法であると主張するけれども、教授会の公開非公開は教授会が自主的に決定すべき事項であり、昭和二十年十一月の学長回答以後原則として公開で審議されて来たとしても、非公開を相当とする審議事項については教授会の決議で非公開とすることを妨げるものでなく、従来から人事問題については非公開で審議されるのを常とした。十一月十五日本科教授会は審議事項に鑑み全員一致の意見で非公開で審議したものである。又懲戒処分を審議する場合如何なる方法でどの程度まで事実を調査するかは教授会の定めるところによるべきであり、右教授会は第二(五)に認定したような調査を以て充分としたものであるから、被控訴人の右主張は採用しない。
(三)放学処分は自由裁量かどうか、自由裁量の限界を超えた違法性の有無
(1)本件放学処分の根拠である学則第三四条には「学生ニシテ其ノ本分ニ悖ル行為アリト認ムル者ハ教授会ノ議ヲ経テ学長コレヲ懲戒ス。懲戒ハ戒飭、停学、放学ノ三種トス」と規定してあるけれども、学校教育法施行規則第一三条但書は懲戒の内退学はその第一乃至第四号のいずれかに該当する場合に限ることを規定しており、右第四号において「学校の秩序を乱しその他学生又は生徒としての本分に反した者」というのは、右第一号乃至第三号と同様、学生生徒として遇するに値しないような最も重い場合でなければならないことはいうまでもない。従つて学則第三四条に基いて学生を放学に処する場合に学生の本分に反するというのは、学生として遇するに値しないような最悪のものでなければならない。しかしながら懲戒は教育上必要があると認められるときに行われるべきものであることは学校教育法第一一条に定めるとおりであり、同法施行規則第一三条但書において退学事由として掲げている第一号の性行不良で改善の見込がないかどうか、第二号の学力劣等で成業の見込がないかどうか、第三号の正当の理由がなくて出席常でないかどうかは、懲戒権者が教育的見地に立つて判定すべき事項であり、その第四号において学生として遇するに値しない程度に重いその本分に反する行為があつたかどうかも、懲戒権者が教育的見地からこれを判断すべきものである。学生に懲戒に値する行為があつた場合これに懲戒権を発動するかどうかは教育者が教育的見地からその自由裁量によつてこれを定めるべきであるとともに、懲戒権を発動する場合、はたして学生の行為が懲戒に値するものかどうか、更に所定の懲戒処分の内そのいずれに処すべきものかは、懲戒権者が教育的見地に基く自由裁量によつてこれを定めることができるものといわなければならない。けだし右の教育的見地に立つて懲戒するには、単に懲戒の対象となる行為の外、懲戒を受ける者の平素の行状、右行為の他の学生に与える影響その他諸般の事情を考慮しなければとうていその適切な措置を期し難いところであり、且つこれ等の事情は当該懲戒権者でなければ十分これを知ることができないからである。故に放学処分は法規裁量に属するとなす被控訴人の主張は採用できない。
しかしながら、懲戒権者の自由裁量といつても、全く懲戒権者の勝手気ままに委せるというものでなく、そこにはおのずから一定の限界があり、その限界を超えてなされた処分は違法となる。例えば極めて軽微な事案に対し最も重い放学処分を以て臨む等如何に懲戒権者の教育的見地を顧慮してみてもその判断が社会通念から見て著しく不当であることが明白であるような場合にはその懲戒は違法である。又懲戒権者が懲戒に値する行為があると認めたのは全く事実の誤認であつて全然そのような外形的事実さえなかつたような場合には自由裁量の余地なくその懲戒は違法なことが明らかである。
(2)そうすると被控訴人上田は教授会の流会後会議室に来たものであつて、控訴人の主張するように、非公開の採決後も退場を肯ぜず、教授会の審議を妨害し流会のやむなきに至らしめたような行為がないのに拘わらず、このような行為があるものと誤認し、この誤認に基いて同被控訴人を放学処分に付したものであるから、同被控訴人に対する放学処分は違法であつて取り消さるべきものである。
しかしながら被控訴人福田、同内藤、同平井、同木村、同谷沢はその面前で公開非公開についての論議がなされ、教授会が多数決により非公開と決定せられ議長から非公開で審議することが宣せられ、再三退場を求められたにもかかわらず退場を肯ぜず、被控訴人平井、同内藤、同木村等は大声で発言を続け暄騒を極め、約三十分間審議不能の状態におき審議を妨害し、ついに流会に至らしめたものである。
(イ)女専部教授会は本科教授会のように法令に定められているものでなく、教授会の申し合せによるものとはいえ、女専部の教育実施学校運営に関する事項について部長の諮問機関として審議するものであり、これを軽視することは正当でない。
(ロ)当日の議案として予め定つていたものは明年度インターンに関する件だけであつたが、被控訴人等は教授会に足立教授に関するクラス会の決議文を提出しこれに対する回答を得る目的で傍聴に来たものであるから、たとい被控訴人等に対して当日の定まつた議案がインターンに関する件であることを説明しても、被控訴人等がそのまま退場したものとは考えられない。従つて控訴人側が議題について被控訴人等を説明しなかつたことに落度があつたというのはあたらない。
(ハ)被控訴人等の当初から教授会を混乱させ流会させる意図の下に傍聴したものでなかつたとしても、流会のやむなきに至らしめたのは、被控訴人等の言動に外ならない。
(ニ)被控訴人等が女専部教授を本科教授会と同様公開であると信じていたものとしても、被控訴人やその他の者が今まで一回も女専部教授会を傍聴した実例がなく、これを公開と信じたのは全くその誤解によるものであり、その誤解は首肯するに足りる根拠によるものとはいえない。
(ホ)被控訴人等が非公開を不当と考えその理由を知ろうとして退去に応じなかつたものとしても、元来教授会の審議の公開非公開の理由を説明する必要のないのはいうをまたず、傍聴者がその理由の説明を求めることを許されるものでもない。まして本件の場合においては、前示認定のとおり、被控訴人等の面前において、公開、非公開について論議がなされ、非公開の理由は被控訴人等におのずから判明しているわけである。
(ヘ)被控訴人等の言動が暴行脅迫の程度に達しなかつだものとしても約三十分間にわたり大声を発し暄騒を極め退場を肯じなかつたため、教授会が審議不能に陥つたことは明らかな事実である。
(ト)被控訴人等の放学処分の議決をした本科教授会の審議の状況は第二(五)で認定したとおりであるから、その審議が慎重を欠くものということはできず、又女専部教授会における事案発生後日ならずして懲戒処分が提案せられたから、本科教授会における審議が冷静客観的に判断する余裕がなかつたとする根拠はない。
(チ)本件放学処分前被控訴人等に対し訓戒を加えなかつたことを以て放学処分に違法性をもたらすものといえない。
(リ)被控訴人等とともに教授会を傍聴していた本科学生中何等の処分を受けていない者があるとしても、学生に懲戒事由にあたる行為があつた場合でもこれに懲戒権を発動するかどうかは懲戒権者の自由に定めるところであつて、一方を懲戒に処しなかつたからといつて、他方を懲戒に処したことを以て違法ということはできない。
そうすると控訴人がその教育的見地からその必要があるものと認めて学則第三四条により被控訴人福田、同内藤、同平井、同木村、同谷沢の前記行為について右被控訴人五名を放学処分に付したことを以て、社会通念から見て著しく不当であると解することはできないから、右被控訴人五名に対する放学処分を違法とすることはできない。
従つて被控訴人上田に対する控訴人の放学処分の取消を求める同被控訴人の本訴請求は正当としてこれを認容すべく、これと同趣旨の原判決は相当で、同被控訴人に対する本件控訴は理由がないが、その他の被控訴人五名に対する控訴人の放学処分の取消を求める右被控訴人五名の本訴請求は失当としてこれを棄却すべきものであるから原判決中これを認容した部分は取消を免れない。そこで民事訴訟法第三八四条第三八六条第九六条第八九条第九三条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判長判事 大野美稲 判事 熊野啓五郎 村上喜夫)